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2008年6月10日 (火)

悲惨な事件に思う

昨夜は『レインアイよこはま』を参考に、雷雨が収まるのを見計らって帰宅した。
今朝はガラッと変わって一面の青空。調光レンズのアイウェアを着け、まだ7時台というのに眩しい太陽を浴びながら、気持ちよくひと汗かいての出勤ライド。

...という爽やかな日記にしようと思ったが、淡々とクランクを回していると、例の秋葉原での事件のことが頭に浮かんでしまった。

自分はその加害者と同じ県で生まれ育ち、学区こそ違うが同じような位置づけの公立高校へ進み、都内の大学を出て、その後まぁいろいろあって今に至る。
高校へ入って、自分より遙かに頭の回転がよく勉強もできる生徒たちに会った時、一種のカルチャーショック的なものは確かにあったと思う。

その時点で殻にこもってしまったり、うまく回らないのは全部他人のせい等の思考パターンに行ってしまっても、別に不思議ではなかったような気がする。なので、加害者を“自分には関係ない特殊な人間”と片付けられないのだ。

多分そっち方向にはまって抜けられなくなり、復讐ついでに目立ってやろうと事件を起こした彼と、一応そうはならずに済んだ自分との違いは何だろう?
もともとのプライドの高さの違いなどの個人的な属性なのか。あるいは勝ち負けが固定化してやり直しが難しいという時代背景の変化なのか。

全てではないにせよ、やっぱり周りの環境かなと思ってもみたり。両親、祖父母、先生、友達、そういう周囲の人たちに対して、「別に“いい子”であり続けなくても自分を大切に思ってくれる」という信頼のようなものがあったかどうか。それが大きいかもしれない。

そう思うと、自分が娘たちとの接触の中で「あなたが“いい子”だから大事なんじゃないよ」という気持ちを伝えられているかどうか、気になるところだ。日常の何気ない言葉や態度、ほめ方や叱り方といったあたりを、見直しておかなければ。

罪のない多くの人が亡くなった大きな事件だし、まだ整理できていない点も多いけれど、とりあえずサドルの上で思っていたことを書いてみた。

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